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2007年11月の38件の記事

2007年11月30日 (金)

昨日ジーコと話した

昨日、ジーコからいきなり電話があった。

あれやこれ話したのだが、やはり話題は27日の フェネルvsインテル サッカーの欧州チャンピオンズリーグでの結果(フェネル0-3負け)になった。
なんでも前半はよかったらしいのだが、後半に一点を取られてからガタガタと崩れたらしい。
この点は日本でもよくブツブツ言っていた。
『どうして一点取られると全く別のチームになってしまうんだ!?』
最大級の課題として取り組んでいたメンタル面の問題。
トルコでも同じことでブツブツ言っているのが妙に可笑しかった(笑)

『まぁサッカーには特効薬はないから、課題を意識しながら場数を踏んで行くしかない!』
と、これもよく言ってた言葉だ。
とにかく懐かしかった。
昔もそうだったようにブツブツこぼした後、
さっと頭を切り替えて元気よく翌日の練習に臨むんだろう。
これも懐かしい。

じゃまた

海外での評価 後編

前編からの続きです。

テーマの本題に戻るとしよう。
04年欧州遠征時、チームとしての高い評価の中、
選手が個人個人で海外のチームに移籍しても、
実際に移籍先で活躍した、あるいはしている数は少なかった。残念ながら…。
その辺の難しさをジーコは、
「まずはその国の文化に馴染めるかどうか、言葉の問題もある。
サッカースタイルの違い、食事の違い等いろいろな難しさがある。
だが最大の難関は選手の良さをチームに活かす能力のある監督に巡り逢えるかどうかだな。」と言っていた。

だが、どんな監督であろうが使わざるを得ない実力があれば問題はないだろう。
サポーターもフロントも監督に起用を要求して最後には監督が
「俺をとるか奴を取るか?」
くらいの『捨て台詞』を吐かせる様なレベルに一日も早くなってほしい。
こんな事を言ってると…
ジーコが
「なんで何事に於いても我慢強くコツコツと確実に物事を仕上げる日本人が、サッカーとなるとそんなに急ぐんだ?
ブラジルでさえワールドカッフで優勝するまでに本格的にプロ化してから30年近くかかったんだぞ!」
痛っ。 ><;)

じゃまた

2007年11月29日 (木)

ブラジルのスタジアム事故

以前リオのマラカナンでも事故があり、
全体的にスタジアムの老朽化が問題となっているブラジル。
今回も尊い人命が犠牲になってしまった。
心よりご冥福をお祈りします。

確かにあの異常とも思える熱狂的な騒ぎは、自分も何度も身の危険を感じた経験がある。
何しろスタジアム全体がもの凄い勢いで”うねる”というか”揺れる”というか…
それはもう、独特の恐怖を感じるのである。
2014年のブラジル・ワールドカップに向けて当局も真っ先に取り掛かる計画だろうとは思うが…。
『突貫工事の速さ』はこの前の世界柔道で目の当たりにしているが、とにかく安全を最優先して欲しい。公正に公金が有効活用され、誰もが安心して良いサッカーが楽しめる施設に生まれ変わることを願うのみである。
世界一のサッカー王国の名に恥じぬように。

じゃまた

サッカー=2014年W杯開催のブラジルでスタンド崩壊、犠牲者も  Yafoo!ニュースから

海外での評価 前編

今回のテーマは遠征中、試合後耳にした相手チーム関係者同士の会話からです。
チームとしての形が出来上がる『きっかけ』となった04年欧州遠征
強豪チェコを撃破し、イングランドと押しまくった末引き分けた試合後、相手のスタッフ連中が
『こいつら、どっから出てきやがったんだ?
日本サッカーなんて聞いた事もなかったよな。
あいつらの中にはプレミアで即レギュラーでやれるやつが結構いるぜ。』
と言っているのを、”ぼーっ”とタバコを吸いながら耳にした。

正直、この欧州遠征の前までは
『監督が一番有名であとはただの東洋人集団』が定説だった。
しかしジーコが言ってた
『長期合宿が出来ればこのチームは飛躍的に進化する。』
…まさにそれが現実となった瞬間だった。
この頃から何処へ行ってもチームの評価は高まるばかりだった。
ワールドカップ直前の調整試合のドイツ戦までは…。
当時ベッケンバウアーもチームの急激な進化を驚異の目で称賛した。
だが次のマルタ戦の後は同じ驚異の目で
『どうしたんだ、全く同じチームとは思えないぞ?』

まぁ、この後の事は気が向いたらいつか話します。

コンチヌーア 続きは…また明日。

2007年11月28日 (水)

代表監督人事

日本代表監督人事のやりとりを見ていて、あらためてサッカー監督の要素を考えてみた。

15年間いろいろな監督と仕事をしてきた中でのオレなりの結論は
『いかに自分を消せるか』
だと思う。
競技によって多少の違いはあるのかもしれないけど、特にサッカーのような『制約が少なく』、どちらかというと『選手の自主性(個性)』を重んじた上での『集団性』が重要な競技は、監督が表立つ程、うまくいかないような気がする。
理想としては、『上手なレフェリー』
試合中は誰も存在に気付かずスムーズにゲームを進行させ、問題なく終了させる。終わってみて『今日の審判誰だった?』みたいな感じ。
サッカーに対する経験、見識は勿論十分なものが必要だけど、
それをいかに目立たず選手達の為に、選手が仕事をしやすいように使うことが出来るか。

結局、最後は結果で判断されてしまうんだけど…ね。
中で仕事をしていると、ついそんな事を考えてしまう。

じゃまた

秋田選手の引退

ジーコ軍団闘将が止まった。“最後の砦”だった。
アキタとは思い出が一杯ある。
ジーコにとって『手のかかる子供程可愛い』の典型だった。
決して器用な選手ではなかったが、『旺盛な闘志』と『愚直なまでの真面目さ』でひたすら努力し日本一の座を掴んだ。
ただただ頭の下がる思いだ。

『Jや世界の修羅場を経験した選手が指導側にたった時、日本のサッカーはさらに進化し始める』とジーコは言っていた。
その言葉が正しければ、これからの日本はますます楽しみだ。

じゃまた

引退式で秋田「支えてくれた闘争心」 毎日新聞より

2007年11月27日 (火)

アミーゴ

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リベルコン・ジャパンの“徳ちゃん”
ブラジル渡航情報の達人。
30年来のアミーゴ。

マクラーレン監督退任会見記事を見て

ジーコが日本を去る前の『最後の公式会見』を思い出した。

会見場に入った時、即感じた『ジーコ、土下座して謝れ』の空気。
しかしジーコはその期待とは裏腹に、30分近い大演説を繰り広げた。
『何故負けたのか、何が足りなかったのか、これから何が必要なのか・・・』
自らの見解を明確に述べた。
だがそれは、日本では受け入れられない行為だったのかもしれない。
しかし真横で通訳した『日本人』のオレは、何かこの大演説に真の潔さを感じた。
彼が心から日本サッカーの将来を考えていたことを確信出来た。
『責任をとる』という曖昧な言葉のみを残し去ることだって出来ただろう
が…あえて彼はそうしなかった。
15年間全身全霊を傾け日本の為に闘い、去っていったジーコ。
彼の通訳だったことを誇りに思う。

じゃまた

マクラーレン監督退任会見記事   AFPBB News から

2007年11月26日 (月)

茨の道だけれど

アジア三次予選組合せが決まった。
どこの国と戦うにせよポイントはホームでは勝点3を落とさない事。
しかしこれが一番厄介で難しいのだ。
傍目にはサポーター熱さ感じることが出来る“地の利”で簡単そうに見えるかもしれないが、逆に余計な力が入ってしまい、勝ち急ぐあまり当然引いてカウンター狙いの相手の術中にはまりやすい。
自分達の時もそうだったが、相手は最初からサッカーをしようとしてこない可能性が大。
ただ日本の攻撃をなりふり構わず破壊しようとするだけ。
いかにこの種の相手に1ー0で勝つか。
息が止まるような長く厳しい道程だけど、国をあげて必死に闘えば必ずや乗り越えてくれると思う。
頑張ろう、日本!!!

メダル

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2006年ドイツ・ワールドカップ参加記念メダルです。

2007年11月25日 (日)

2007 Jリーグ 第33節 浦和vs鹿島

凄くいい試合だったと思います。
サッカーの“試合”としての駆け引きが随所にあって、見ていた方々は楽しめたのではないかと思います。
全体的に観客動員数が落ちている中でこの様なサッカーを見せてもらえれば入場料を払っても惜しくないですよね。本当に。
(浦和の今季のJリーグ戦ホーム総入場者数【17試合】 79万3347人とは…凄い!)

また、鹿島アントラーズ、J1初の通算300勝、おめでとうございます。
15シーズンもかかるんですねぇ。(しみじみ…)
魁皇の勝ち越し位待ちに待ったって感じっすか? 笑)
最終節どうなるかが楽しみです。

2007年11月24日 (土)

ゴジラ

親戚からいただいた『超レア初代コジラ』。当時は『ホラー』そのものでした。 笑)

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宿命と教訓

ワールドカップ南米予選で、
ブラジルがウルグアイに2ー1で逆転勝利したニュースを見た。
ブラジルにとってアルゼンチンはご存知の通り宿敵だが、
ウルグアイとのライバル関係も歴史的なものだ。

1950年ブラジル・ワールドカップの優勝決定戦(当時はリーグ戦方式)…ブラジルは1ー2のスコアで敗れた。
最強ブラジルはそれまでの試合を大差で勝って来たのに対し、ウルグアイは全て僅差。
言わば息絶え絶えの状態で決定戦までたどり着く有様。
スタジアムに詰掛けた20万人の大観衆は勿論、全国民が「勝ったも同然!」の大騒ぎ。そんな空気の中、格下?のウルグアイに逆転負けを喫したのだった。

打ちひしがれたその日のブラジル…
特に試合があったリオは地獄絵だったと言う。
勝利したウルグアイの選手達でさえ
「こんな悲惨な光景を見るのなら勝つのではなかった」
とのコメントを残した当時の新聞記事を見たのを覚えている。
半世紀以上を経て現在に至るまで、ブラジルはこの時の教訓をいかしている。
『闘わずして既に勝った』などありえないのだと。

じゃまた

2007年11月23日 (金)

気がかりです…

<サッカー日本代表 オシム監督の容体を受けて来月のキャンプは中止に

監督の早期回復をお祈りしております。

ブラジル語の音の魅力 後編

071122_222256_2 前編からの続きです。

Marcelo D2(マルセロ・デードイス)のHIP-HOP・SAMBAは、
オレが自信を持ってお勧めします。
前回の続きで『ブラジル語』の発音について、もう少しお話すると…
そもそもオレが19歳で初めてブラジルに行った時(ほとんど喋れない状態でしたね 笑)、
まずカチンときたのが
『日本人はブラジル語の発音が出来ない。』
と現地の人々が決め付け口調でヘラヘラしながら言って来る事。
そこでオレは考えた。
『文法やらキッチリ外国語が話せる日本人は大勢いるだろうが、
現地人と同じ音が出せる日本人はそういないだろう!』

元来オレは『言葉はコミュニケーションの道具』としか思ってなかったので、間違った文法であろうが通じればよかった。
『決心したからには発音だけは何としても!』の気合いで今日に至っています。
お蔭様で、今ではじゅうぶんブラジル人を騙せます。興味のある方はご連絡下さい。コツ教えます。 笑)
よくブラジル語の本に
『ブラジル語の発音は日本語のそれに似ているので…』
なんて書いてありますがオレに言わせりゃ~ とんでもない勘違いです、マジで!

じゃまた

2007年11月22日 (木)

ブラジル語の音の魅力 前編

この歳で、2年前くらいからHIP-HOPを聞いてます。
ただし…ブラジルのカリスマ Marcelo D2(マルセロ・デードイス) 一途ですが。
他のアメリカ物とかいろいろ聞いてみましたがダメでした。
ボサ・ノヴァも絶対にブラジル語でないとダメです。
(↑ お断りしておきますが、あくまでもオレ個人のコダワリですから。)
『なんだ? ブラジル語じゃなくてポルトガル語だろうが?』
確かにおっしゃる通りです。
両者の違いとして、単語の使い方の違いとか細かい事がいくつかありますが…
決定的に違うのが発音です!
あえて『ブラジル語』と呼ぶ理由はここにあります。
私見ですが『ポルトガルのボルトガル語』よりブラジルのそれはハッキリ音を出します。
破裂音的というか? 想像出来るでしょう?
そう、この破裂音がHIP-HOPの歌詞の内容と“ジンガ”(ブラジリアン・スイングというか)に恐ろしい位ハマるのです。
アメリカ産のはアメリカ英語独特の巻き舌がいけません、オレ的には。
ボサ・ノヴァの巨匠ジョアン・ジルベルトが、やはりかなりのコダワリ親父で
『俺はブラジル語でしかボサノヴァは歌わない』
と言うのもその辺の事情でしょうか?
まぁ興味のある方は聴いてみて下さい。是非とも!

コンチヌーア 続きは…また明日。

2007年11月21日 (水)

祝 北京オリンピック出場!

皆さんおめでとうございます。
このような大事なゲーム、どんなに難しい仕事かは経験から十分わかっていました。
『絶対に負けられない。』
ホームでの地の利もあるがその倍のプレッシャーが重くのしかかる。
いやぁ、本当に頑張ってくれました。
選手・監督・スタッフ・関係者・サポーター 全ての人達の強烈な念が、結果を引き寄せたのだと思います。
オシム監督に対しての最高のプレゼントとなりましたね。
よかったー (^O^)/

闘志 後編

前編からの続きです。

 ブラジルでは、独りよがりなプレーでチームが不利になったり、ましてやその為に負けたりなんかしたものなら、味方やら応援しているギャラリーからメチャクチャ責められる。要するに誰も絶対に負けたくないのだ。そんな環境で『闘志の示し方』は培われていく。

 誰しも「カッ」となって冷静さを欠いてしまうことはある… が、
ブラジルのように『ピンチを招いてしまうプレー』に対する評価が厳しければ、子供も大人になる頃にはかなり違ってくるはずだ。それが逆にこの様なプレーに対し『闘志があってよい』とか『子供だから、若いからまぁ仕方ない』という環境なら、その子供は何度でも同じ過ちを繰返し『何も学ばないまま』大人になるだろう。
『成長してからでは身体に染み込んだものを矯正するのは難しい。』
ジーコがよく言っていた。

 『闘志』は絶対に必要だが、それをどうチームの為に、仲間の為に発揮するのか。今後日本人が強くなる為に、技術・体力面だけではなく、メンタル面の指導法を低学年から導入する必要があるのではなかろうか? 因みに南米では年齢が低い程、『経験豊富なお年寄り?コーチ』が『礼儀』から始まり『サッカーで生きて行く基本』を厳しく指導する。子供の時代がいかに大切かを物語っているように思う。正しい『闘志の示し方』も『成長してからでは矯正するのが難しい』のではないだろうか?

じゃまた

2007年11月20日 (火)

闘志 前編

 前にもちょっと触れたと思うけど『闘志』について、今回は少し突っ込んで考えてみたい。
 ジーコが選手達の考え方を変えようとして、繰返し注意していた事の一つに『闘志の示し方』がある。自陣タッチライン付近で背を向けてボールキープしている相手に、不必要に激しくボールを奪いに行ってファールをとられる。自陣のペナ付近で物凄い勢いでスライディングをしかけてファールをとられる。味方の存在を無視し、ひとりで相手を追い回し、最後にはファールしてしまう等は、決してチームの為にはならず、逆にピンチを招いてしまう。なぜ今だにこの様なプレーがなくならないのか?
『冷静さをかいてしまって、つい…』
この言い訳をよく聞くが、もっと根源的な理由があるのではないか?

 ここで、ブラジルを例に考えてみたい。向こうは子供の頃から結構厳しい環境の中でサッカーをしている。負けず嫌いな(特にサッカーに関しては)お国柄。それがストリートの草サッカーであろうが、正式な試合だろうが、独りよがりなプレーでチームが不利になったり、ましてやその為に負けたりなんかしたものなら、味方やら応援しているギャラリーからメチャクチャ責められる。要するに誰も絶対に負けたくないのだ。そんな環境で『闘志の示し方』は培われていく。

コンチヌーア 続きは・・・また明日。

2007年11月19日 (月)

【ご挨拶にかえて】 ブログを始めて思うこと。

 今年、ブラジルはリオ・デ・ジャネイロ市で行われた、世界柔道の仕事をさせて頂きました。多くの方々の多大な尽力によりイベントが成立していることを、改めて認識させられました。オレ達がピッチ上で一喜一憂していた時の関係者のご苦労を思うと、『大変だったのだろうなぁ』と感無量です。本当に有り難うございました。

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分業制の効果 後編

前編からの続きです。

『逐一俺の了解をとらなくても構わない。最後の責任は俺が負う』
スタッフは皆、この言葉に最初は戸惑った様子だった。
しかし、ボスの『本気』に触れて、次第に目の色が変わって(輝いて)いった。
特に思い出深いのは、年頭恒例の『ジーコとスタッフだけののミーティング』。
この手のミーティングは外人ボスの大演説会となり、スタッフにとっては苦痛きわまりないものなのだが、ジーコの年頭ミーティングは違っていた。
各自が責任を与えられている為、(それを各自に実感させるボスの『本気』も凄いのだが・・・) まさに全員が考え、思考をめぐらせながらジーコの年間のスケヂュールと方針説明を聞いている…いや正確には“食らい付いている”という感じだった。

通訳としてジーコの傍にいて、スタッフの顔を見ながら、その仕事ぶりが『イキイキとしていた事』を、今でも鮮明に記憶している。
日本がドイツに行けたのも選手の頑張りは勿論だが、スタッフの裏方としての大活躍あってからこそだと思う。
『人が成長する為には危機感や責任を背負う“覚悟”が必要なんだよ』
昔ジーコに言われて全然ピンとこなかったが、その時目の当たりに感じたのでした。

じゃまた

2007年11月18日 (日)

分業制の効果 前編

多民族国家であるブラジルでよく見かける『仕事のパターン』の一つに、ヘッドが独りで仕事(顧客)を ”最初から最後まで” 抱えてしまい、部下はただ指示された事を指示された通りに『作業としてこなす』だけ・・・というのがある。
単一民族国家の日本人であるオレには正確な理由はわからない。
もしかしたら、『他民族はあまり信用出来ない』といった感じなのかもしれない。
例えば、日本では通常、事務所内で偉い人は奥の方に座っているが、ブラジルでは入口の近くに位置していることが多い。
入口から入ってくる上客を他の社員に渡す前に、自分の顧客にしてしまう・・・といった図式なのだろうか?

まぁ、そんなことはさておき、同じブラジル人であるジーコだが・・・スタッフとの接し方は全く正反対。
前のコラムでもちょっとふれたが、選手に選択・実行の自由を与えたジーコは、スタッフに対しても、それぞれの役割に関して
『みんなはそれぞれ与えられた分野でチームに最良と思われる事を、各自の責任のもとに実行してほしい。逐一俺の了解をとらなくても構わない。最後の責任は俺が負う
という方針だった。

コンチヌーア また明日。

2007年11月17日 (土)

「何の為の練習だ?」

選手の成熟度、技術の高さ、型にはめられることを好まない気質、
『代表チームにいたっては監督など必要ないのでは・・・』
と言われるほどの国で生まれ育ったジーコが、監督として特にこだわった事。
日本代表監督として世間から非難されながも、
あえてピッチ内での選択・実行の自由を選手に与えたジーコがこだわった事。
今日はそんな『ジーコのこだわり』を少しご紹介します。

ある親善試合での事…相手のフリーキックにたいして『置いた壁』の数は1枚。
選手達の判断はフリーキックの位置がゴールに対して角度がなく、直接ねらわれる可能性が少ない為に、練習では位置的に常に2枚置くところを、1枚にして中のマークを増やす事を考えたのだろう。
しかし相手はシュート性の速いボールを、普通ならばいるべき『もう1枚の壁』の位置を通しキーパーを狙ってきた。
”キーパーが弾いたのか”、”誰か他の選手に当たってこぼれたのか”は覚えていないが、とにかく相手に決められた。

試合後 ジーコは語った。
「このチームには戦術的にいくつかの決まり事がある。
俺が指示したものもあれば、みんなから出た意見を採用したものもある。
誰が言ったかの問題ではなく全員であらゆる角度から考えて納得した上で決定したものだ。それに則って練習も繰り返ししている。
ということは、その型に対しての対応は全員が体で覚えているということだ。
だから、今日の壁の件は納得出来ない。 何の為の練習だ?
確かに練習通りにやっても失点する場合もあるが、確率は練習でやってない型をいきなりやるよりは低いだろう。 セオリーは尊重するべきなんだ。」

ジーコの場合、とくに守備の戦術面で決まり事を常に設けていた。
守備は組織で、攻撃は各自の創造性を最大限に活かす」
これが自らの豊富な経験から得た哲学だからだ。

じゃまた

2007年11月16日 (金)

絶体絶命!?

リオ・デ・ジャネイロの小高い丘に、へばり付くような無数のバラック家が独特な景観を醸し出している。
・・・ファウ゛ェーラ(スラム街)である。
もう何十年も前から気になっていたのだが、ある日中に入るチャンスを得た。住人の一人と偶然知り合いになり「一緒に来いよ、ニッポン人!」とお誘いを受けたのだ。
後にジーコに自慢げに話したら「ゲッ!!?」だったので、決して尋常な行動ではなかったようだ。 汗)

そこは南米最大のファウ゛ェーラと言われており、うん十万人が住んでいるらしい。
地区に入ってびっくりしたのは、水道、電気、学校、教会、商店、銀行、郵便局等は勿論、ラヂオ局まであって、完全な共同体として住人達が日常生活に必要な施設や品物が全てそろっていることだ。反面、非常に危険な地域なのだ。ドラッグ、銃器の不法所持、ストリート・チルドレン、他のファウ゛ェーラや警察組織との抗争等・・・多くの問題を抱えている。
そうした先入観のせいか・・・危なそうな奴がゴロゴロしている様に思えてしかたがない。
目にする全が興味津々で、時間をかけて観察したい反面、身の危険にビクビク状態だったオレは結局帰途を急ぐことにした。

すると突然、音も無く後方から近付いてくる気配!
「振り向くなっ! 気をつけろ、ニホン人! 奴等、マシンガン持ってんぞっ!」
横を歩いていた知り合いが小声で言った。
「なんだよ〜。“気をつけろ”ってどーすればいーんだよ〜??? 具体的に指示してくれよ〜」
この恐怖はとても言葉に表せるものではない。
マシンガンですよ、マシンガン! TVとか写真でしか見たことなんかありません。
そして、その気配はあっという間にオレに密着するほど近付いてきた!

突然・・・
「ちょっと失礼」という声がして、
サッカーパンツに上半身裸のビーサン小僧2人が俺達を追い抜き・・・足速に遠ざかって行った。裸の両肩にしっかりとマシンガンを携えながら。
一瞬のことだった。
無事だった安堵感とギャング小僧の礼儀正しさに圧倒されたオレは、妙にヘラヘラするだけで暫くは喋れなかった。
そんな事が日常茶判事のファウ゛ェーラ。そして、これもブラジル。
二度としたくない貴重な体験でした。 

じゃまた

2007年11月15日 (木)

フェイジョン

標題のフェイジョンというのは??
正直 オレは料理の事は、今時の代議士先生方がご自身の発言のTPOをご存知ないのと同じくらい存じません。笑)
まぁ、一般に黒豆(オにはそうとしか見えません)を塩味に煮込んだシチュー状のものです。(ブラジルの方々すみません。オレにはこれ以上の表現は出来ません 汗)
確かなのは、日本の御飯と味噌汁の様に全国民とは言わないまでも、ほとんどの人が好きというポジションをブラジル人の食文化に於いて占めております。
ある時、フットサルで知り合った奴に
「スズーキッ、家で飯喰ってけよっ!」と誘われるまま付いて行きました。
申し訳ないが一見して家計が苦しそうなそいつん家に着いて、中に通されると奥様と小さな息子が“ハトが豆鉄砲”状態で俺を凝視した。
まさに初めて黄色人種を見たといった感じで・・・。
多少リアクションに戸惑ったが、こんな時にはきわめて明るく「こんにちは!スズキでーすっ!」
そんなこんなで打ち解けて、あーでもない、こーでもないの話をしていると奴が
「こいつに昼飯食わせてやってくれっ」奥様も「あいよっ」という感じで食卓に出されのがフェイジョンと米に一切れのソーセージ。しかもソーセージはビジターの俺の皿にしか乗ってない・・・。
オレはいたたまれなくなりながら思った「オレがのこのこ付いて来なかったらこのシーセージは息子が食べてたんだろうな・・・何てことしちゃったんだ、オレはっ」
そんな俺の気持ちを見透かす様に奴は「早く食えよっ」
「こんなんしかなくてゴメンネ」と奥様まで。
涙出そうになりながら有り難く全部頂きましたよ。
遠慮したらもっと失礼でしょう。

勿論、何処にでもいる様なしょうもない連中も沢山いますよ。
しかし全部が全部じゃないにしても、こういう感覚を持った人達が一般的なブラジルの人達です。
すっごく温かくて、変に自分を卑下しない。本当の意味で裸の付き合いが出来る人達。
こんな素晴らしい人達ともう37年付き合ってます。お蔭様で。

じゃまた

2007年11月14日 (水)

告白

白状します。
正直、オレはジーコがバリバリ現役だった時代、リオで彼のプレーを目の当たりにし即ファンになり以降ずっと大ファンでした。
とにかく凄かった。
華があり、これぞ世界の、当時風の言い方だといわゆるスーパースターの風格、オーラをバシバシ放っておりました。
マラカナンにフラメンゴの試合を見に行く時、絶対にキックオフに遅れてはダメ、何故なら、開始早々フリーキックでもあろうものならジーコがボールをセットした時点でもう半分ゴールしたようなものでしたから(それ程の確率だった!)ベストシーンを見はぐってしまいます、ホントに。
ですから粗末な穴だけが開いているチケット売り場に、思いっきり口を突っ込んで出来る限りの大声で「一般の安い奴!」と怒鳴る。
物凄い騒音で普通の声で言ってたんじゃいつまでたっても買えやしない。
券を手にしたら、いきなり猛ダッシュで席目指して坂を駆け上がる。
やっと間に合いハァーハァー言いながらピッチを見下ろすと、場内アナウンスで選手達を一人一人紹介している。「ヌメロ(ナンバーの意)8、アンドラーデ」「ヌメロ9、ヌネス」
ここでアナウンサーがわざと間を置く・・・・
静まり返るスタヂアム・・・
そしていきなりトーンを上げて

「ヌメロ10・・・・・・・ズィコォ〜〜〜〜〜!!!」

一気に大歓声に包まれる聖地大マラカナン!爆竹が鳴り響きスタンドが揺れる。
毎回のお決まり演出だが俺達4500万人のフラメンギスタ(フラメンゴサポーター)にとっては鳥肌ものなのだ!!!!
ジーコがスタンドに向かい手を振るのを見て誰もが「あ〜俺に手を振ってくれたー!」とはなはだしい思い違いに酔いしれる至福の時間だ。
この時期フラメンギスタにとってはもうメンゴは勝つのは当たり前で、要は「どう勝つか?」「幾つで勝つか?」が問題だった。
この件に関しジーコは最近
「お前達は調子よくそんな話をスタンドで無責任にしていたんだろうが、おかげでオレ達は期待に応える為に必死でピッチを駆けずり回っていたんだぞっ!まったく!お気楽なもんだよなーっ」
運命の不思議を感じた一瞬だった。
スタンドの場末席とピッチ、超一般ピーと超スーパースターが20数年の時を経て一緒の空間にいる!?
ときには大喧嘩をして数日間口もきかなかったり、他愛もない事で馬鹿笑いをしたり、辛くて、嬉しくて目に涙を溜めたりしながら・・・。
正直、最初、彼の専属通訳の仕事は引き受けるのをためらった(まぁ、ボスがジーコと知らされたのは契約書にサインした後だったんだが・・・)。
ヒーローだった人と仕事してイメージが崩れたりするのが恐かった。しかし今は本当に有り難かったと思っている。こんなに素晴らしいボスと共に15年もの時を共有出来たのだから。
有難う“運命の「女神様”
有難う“誰だかを明かさずに契約書にサインをさせて下さった住金の皆様”

じゃまた

2007年11月13日 (火)

自己主張の文化と日本

今回の話題は、結構オレ的には重いテーマです。
『チーム内でのコミュニケーション不足』
ジーコはもちろん一緒に仕事をしたほとんどのブラジル人が、問題として取り上げています。自己主張が当たり前の国で育った人達からすると、日本人は声に出しての意思疎通が少な過ぎると言います。

良くジーコは言っていました。
「自分は外国人として素晴らしい日本の文化を壊すつもりなど毛頭ない。しかし少なくとも選手がサッカーという“外来の競技”に携わっている時間帯だけは、もっとコミュニケーションを活発にしてほしいと言っているだけだ。」
まずは試合の最中でのお互いの声の掛け合い。
パスの出し手が受け手にかけてやる声。(”敵が来てる”とか”フリー”等の声。)
これはブラジル代表の連中も練習の時から実行していた。(無意識に声が出ている様に見えた。)
また中盤の奴と受け手のトップの奴の間での「ここにこの種の球が欲しい」とか「持った瞬間こう 動いてくれ」とか、ピッチを離れた処でも出来る話し合い。
ブラジルでは当然の様に選手間で話し合いが普通にもたれる。
それが勝つ事に繋がるからだ。
ただし、ピッチ内でギャーギャーとまるで『自分が全てだ』と言わんばかりに仲間を怒鳴り散らしている様な奴は、ブラジル(どこの国でもだろうが・・・)でも嫌われている。(オレもいくつもの例を実際に見聞きしているしね。)

もう一つ、ジーコが理解出来なかったのが、試合前のミーティングで相手の分析をしている際に例えば相手チームの”誰々”と一緒にプレーしていた選手がいても、”彼”に関しての積極的な情報提供がない事だ。理由は国民性、個々の性格、教育、文化的な背景等いろいろ考えられる。

ジーコも15年間努力したが、この部分はどうしようもなかった。
15年以上漬かっていたプロサッカー界から身を引いた今、時間があると地域の少年サッカーを覗きに行く事がある。
そんな中で気付いた事だが、子供が練習が始まる前にサッカーで遊んでいる時は盛んに声を出すが、いざ監督、コーチの号令と共に本格的な練習が始まると全く声が無くなってしまう。聞こえて来るのは指導者の声ばかり・・・。
個人的意見だが・・・
『もしかしたら、この辺りにその答が集約されているのではないか?』
とふっと思ったりもする。

じゃまた

2007年11月12日 (月)

ど、どこ行くんだ奴は!?

15年間ジーコの横にいて、オレに話している訳でなく、言ってみれば”独り言チック”なブツブツを聞いてきた中で笑えた(?)話題の一つをご紹介します。

とある試合でジーコは右サイドを活性化する為、ガス満タンの若い衆を投入した。
当然オレも選手に役割をしっかりと伝えて送り出した。「目一杯なっ!」と発破をかけて。
そいつがピッチへと飛び出して行く勢いは、まるで尻にロケットを突っ込んだようでした!まさに控えのカガミとはこのことです。
「かなりの効果が期待出来そうだ。」
と独りほくそ笑んだ瞬間、監督さんの
「オマエ、奴にどこのポジションを伝えたんだ!?」
とのご質問で俺はいきなり氷細工のように固まった。
「・・・・?」
何と! 彼は一度は右サイドに行ったものの・・・ 何を思ったかスルスルとピッチを斜め横断して左ウイング (よく、昔言われた“左オープン”という場所) にポジションをとったのです!
「帰れ、帰れ、帰れーっ!!!」
オレはタッチラインから勢い余ってピッチ中につんのめりそうになるのを、何とか持ち前の“モーター・コーディネーション”をフル活動させ踏ん張り、ありったけの声を張り上げた。
心からのホトバシリだった! 何故なら監督が抱いた通訳へのその種の疑惑は、後に最悪 『通訳失業』 へと発展しかねませんから。

その後ピッチではどうなったかというと、何と左ウイングと化した右サイドバックが起点となり見事なゴールが決まったのでした。
監督も得点には大喜びではありましたが、
「まったく、そこらの草サッカーじゃねーんだぞ」とポツリ。

後日の練習で
「味方の為、チームの為という気持ちは尊い。この気持ちなくしてはチームプレーはなりたたない。
しかしそれは、自らのポジションを極端に逸脱してまでやたらボールを追い回したり、
敵に不必要な、いや、逆に味方に不利になるファールをとられる様な猛スライディング・タックルをかますこととは全然違うぞ! いいか闘志と目茶苦茶は違うんだ!
基本は攻めも守りも常に全体がポジショニング・バランスを保つことだ。どんな状況でも絶対に互いのカバーリングを忘れずに!これが出来れば確実に失点は減って攻撃に厚みもでる。」
当たり前なことに聞こえますが、意外と履き違えているケースが多いのでは?

因みにその後、通訳の交代劇はありませんでした。
「あぁビビッたぁ〜」

2007年11月11日 (日)

誰の為に(選手としての誇り)

ここが踏ん張り処というゲームの前半、どうしても選手の士気が感じられない。
気持ちが入っていない。ハーフタイムのロッカーは妙に静かだった。
まるですでに試合は決まってしまったかの様に・・・。

ジーコがおもむろに口をひらいた。
「オレは今まで一度も皆に“絶対に勝て”と要求したことはない。
それはこの集団はどんな状況でも全身全霊を込めて闘う精神を忘れたことがないからだ・・」
いつもなら強烈な勢いで闘将に叱咤される場面。それだけに不気味だった。
ジーコは続ける。
「確かにこの試合に負けても世界が滅亡してしまうわけではない。
ましては勝負事だから勝ち負けはつきものだ。
だが負けるにしても負け方っていうものがある。
生中継で全国の人達が注目し、スタジアムも満員だ。君達が自分だけの為にプレーしていると考えているとしたら大間違いだ!
一人一人が自分の愛する家族、親族、恋人、友人、全サポーターの名誉と尊厳を背負ってピッチに立っるんだ!絶対、それを忘れるな!前半の様な無気力状態のままで試合を終えてみろ、君達はそれでも仕方ないだろう。自分達でやったことだからな!
しかしなっ、皆の大切な人達も他人から嘲笑され、後ろ指をさされるんだぞ!
日ごろから何の見返りも求めず一生懸命みんなを支えてくれている人達がだぞっ!」

正直考えてもみなかった、そんなこと・・・・。
日本サッカーがプロ化して間もない頃の出来事だ。

2007年11月10日 (土)

セオリーを無視するな(キーパー編)

ジーコ・ジャパンのスタッフ、世界一のキーパー・コーチのカンタレリー。
現役時代は70年代後半から80年代のフラメンゴの黄金期を支えた名キーパー。現役引退後コーチとしてその天賦の才能を開花させる。
「自分の時代はキーパー・コーチという存在がなかった為に全てを自らで工夫しなければならなかった。その分実践に促した知識、練習方法が豊富になったので後進の指導に役立てようと考えたんだ」
その言葉通り彼のトレーニングはバリエーションが無尽蔵で選手を飽きさせない。

ただでさえ厳しいキーパー練習は次のメニューが知れてしまっていると、どうしても精神的にキツくなるらしい。「あぁ、あのキッツイやつか〜」・・・という具合に。
ところがカンタ(カンタレリーの愛称)の練習は、毎回パターンが違う上にそのテンポが選手に余計な事を考えるスキを与えない。(これは全く選手に休憩を与えないという意味ではない。お間違えのないように!)
練習内容が全て試合中に起こり得る状況を中心に考えられている為に、キツクても選手が納得してしまうのである。
カンタはしばしぱ言っていた。
「選手側から見て意味のない(ゲームで起こり得ない)練習ほど嫌になるものはない。それは無能なコーチの自己満足でしかないよ。悲しいかなその種のコーチが世界的に多すぎる。」
カンタとJリーグの視察によく一緒に行った。ある時・・・ほぼゴール正面からのフリーキックの場面で、守備側の壁の位置とキーパーのポジションがしきりに気になったらしく、
「なんでキーパーが壁の真後ろに立つんだ?あれじゃ早いボールが端に来たら絶対に無理だろう?」
オレとしては外人は体もデカイし身体能力も高いんだろうから、あれはあれでポジションは正解だと思ってた。
日本では普通だし・・・。
しかしカンタは
「セオリーを無視してるよ!特にいまどきのボールは軽いし変化つけやすいから、早く鋭い球が来る。しかもキッカーの能力も高い。ブラジルではどっちかをキーパーサイドと決めてそこに決められたら、それはキーパーの責任だ。でも壁を越されてのゴールはキッカーのメリットと考える。それがセオリーだぞ。」
セオリーという言葉をブラジル人から聞くとは思ってもみなかった。
「じゃ、壁越されたら何もせず諦めるんですか?」
「ノン、ノン、ノン!! その為に練習があるんだろうが!
まず基本はキックされた後、後だぞっ!絶対に予測して飛ぶな!
で、出来る限りのパワーで身体を目一杯伸ばしてボールに対して飛ぶんだ。
だから下半身を鍛えてジャンプの距離、早さを進化させる」

なるほどセオリーはセオリーで尊重し、日々の練習で自分の身体能力を上げていくということですね。一般にブラジルというとその技術と身体能力だけで勝負していると思いがちですが、決してそうではないのですねー。深い!

じゃまた

2007年11月 9日 (金)

世界で一番上手い60歳 (たぶん)

エドゥー・コーチ、そうあの有名なジーコのお兄さんです。(世間では”ジーコが無名の頃は『エドゥーの弟』と呼ばれ、その後逆転して以来『ジーコの兄貴』となった。”といわれています。)エドゥーさんは165㎝ないんじゃないかと思います。
若い人にはわからないでしょうが、あの“お化けチーム”だった70年カナリアのFW候補だった人(これってカナリ凄い事です)その技術たるや、とても60近いおじいさんとは思えません。一説によると、ブラジルでは技術的にはジーコの全盛期のそれより上だったとの事(マジっすかぁ)。日本代表の時もレクリエーション・ゲームで頭数が足りない時は選手に混じって一緒にやってました。キレキレの時は今の現役選手も呆れる位。・・・今だに凄いです。歳のせいで体は動かない・足は出ないの状況下であのプレー!!

まず何が違うかというと発想力。
特にご自身あの身体で長年トップを張ってこられたとあって、シュートの際の相手との駆け引きが天才的。全く予想外の仕掛けが絶妙です。
そしてシュートの正確性と強弱のめり張り。ただコースを狙って置きに行くんじゃなくて、しっかり蹴りながら正確に強く飛んでいくボール。
ちなみに今やたら取り上げられている“ぶれ球”は、既に40年前 世界の檜舞台あの頃の重くて硬いボールでエドゥーさんがガンガンに蹴りまくっていたわけです。
78年にアルゼンチンを率いて世界チャンピオンになったメノッティ氏は、自身の著書で「何十年と世界のサッカーを見てきたがシュートに関して ”これ程の奴は滅多にいない” と感嘆したのはブラジルのエドゥーだ」と語っている。

そんなエドゥーさんに「脚の筋肉などは現役時代に比べてないも等しい今も、なんであんなに強いボールが蹴れるんですか? ましてやブレ球なんか?」
「シュートはオマエ、パワーだけじゃないんだよ。要するにコツってことかな」
「どんなコツですの?」
「まぁ・・・・それはなぁ・・・ ・・・」

!! ・・・ 残念ながら、シュートに関して知識ゼロの私には記憶として全く残っておりません。m_ _m すみません。
今度、エドゥーさんにお会いしたときにちゃんと聞いときます。

じゃまた

2007年11月 8日 (木)

精神鉄板

昨日ジーコと電話で話しました。
相変わらず元気そうで。15年来の相棒の高島氏の言葉を借りれば
「どういうわけか、ジーコと話すと元気が出るんですよね!」
本当だと思う。
そういう人って時々いるでしょう?何かいつも前向きオーラを放ちながら生きている人。末法の世にはきわめて重要な存在です。

ところで最近フェネルは控えメンバー主体のチームで二部だか三部のチームと引き分けたトルコカップ初戦とか、7年越しのタブーを打ち破ったリーグ戦での大逆転劇とかで周りをハラハラ、ドキドキさせているが本人の弁は
「最近、やっとチームがメンタル面でタフになってきたよ。始めた頃は失点するととすぐ冷静さを失って自滅してしまうケースが多かったからな。日本で繰り返し指導していたことをまさかトルコでもやる事になるとは思わなかった。とにかくトルコ人というのは熱いから失点するとバランスを考えず、バラバラに全員が勢いだけで攻めに行ってしまう。その為に相手のカウンターで追加点を取られるなんて事がざらだった。要するに自分で自分の首を絞める様なもんだな。今は大分我慢出来る様になったよ。もともと身体能力はもの凄い連中だからな、さらに良くなると思うよ」

なるほど、大人のサッカーが出来ると身体能力がさらに活きるということだよね・・・。
「しかしそんなに熱い民族じゃ結果が出ない事が続くとプレッシャーが大変でしょう!?」と振ると
「まぁ、確かに半端じゃないな。圧力に対し自分がブレたら続かないよ。1億5千万が総監督のカナリア、4500万フラメンゴ・サポーターの念を背負って20年以上闘ってきた経験から忍耐力だけは人一倍だよ(笑)」
想像を絶する環境の中で40年近く根性鉄板を貫いて来た男の一言でした。

じゃまた

2007年11月 7日 (水)

見た目より勝負

ブラジルがまだ、かろうじてあのブラジルだった82年の代表。
懐かしいですね~。

ある時、選手達が集まってワイワイ言いながらTVを見てる。
ジーコとちらっと覗いたら、82年カナリア軍団の名シーンでダイレクト・プレーの“美しさ”をアナウンサーが強調していた。
オレ自身もあのチームに心酔していた一人だったので、思わず「美しい!」と漏らした。
そしたらジーコが
「困るよなー、これって」
と言いながら顔をしかめた。
人一倍芸術サッカーの信望者であり、その真っ只中で闘って来た人のリアクションとは思えなかった。

そんなことがあった数日後・・・

練習の中で、ミスパスから逆襲をくらう場面が目立っていた際に突然、ジーコがみんなを集めて(ジーコはゲーム形式の練習では、流れを止めのを嫌がってめったにストップしない) “止めて蹴る” のツータッチプレーの重要性を説きだした。

「昔はゲームの中に時間とスペースがあったが今はそれが全くない。
30m位のスペースの中に20人が互いにプレッシャーを掛け合っている。相手が強ければ強いほどプレッシャーが厳しく巧になり、ミスが起こりやすくなる。確かにワンタッチで相手の裏をとれれば効果的に突破できる。
しかしカットされカウンターをかけられる確率はさらに高い。
今のサッカーはミスの数が少ない程勝つ確率が高いんだ。どんな美しいサッカーをしても負けてしまっては歴史は作れない。
何年後かに記録を見た時に残るのは“0ー1で負け”の一行でしかない。そうならない為に最も確実な“止めて蹴る”が必要になるんだ。
判断の早さと正確性が身についていれば、ダイレクト・プレーと比較しても時間的なロスはほとんどない!」
「中盤はシンプルに確実に・・・相手が一番嫌がるエリア(つまり敵ペナの付近)に達した時に、躊躇せずに持てる技術の全てを発揮しろ!」

単純な事ですが強いチームほど『基本に忠実』だと言う事でしょう。

じゃまた

2007年11月 6日 (火)

世界の視野

海外のサッカーをTVで見てた時のことだ。
「世界の一流選手は3、4つ先を読んでプレーをしてますねぇ」とのコメント!?
横で一緒に見ていたジーコに、本当かどうか聞いてみた。

「はぁ!?そんな奴がいたら今すぐ会お会いしたいね・・・」
「あぁ、やっぱりね」
この種のコメントは以前から何度か聞いたことがあったので是非確認したかったんだ。

「サッカーはチェスでもなければケーキのレシピでもない。
こうすればああなる的な事は有り得ないというのが長年やってきた中での結論だよ。
サッカーがそんな“ビックリ箱”だから世界中の人々が夢中になるんじゃないか。」

オレは「逆に深ぁ~~」と思ったね。

じゃまた

2007年11月 5日 (月)

レオの涙、カミサマが降臨した日

今日は、レオナルド(現ACミラン役員)が語ってくれた話から。
彼がフラメンゴのジュニオル(日本ではユース)からトップチームに上がったばかりの頃のある日、ジーコ(現役時代、その存在が神格化しだした頃)が
「レオ、オマエ、今日練習後ヒマならちょっと一緒に来いよ」
「!?」
ジーコ自らが運転する車で連れていかれた場所は教会に似た建物。
ドアを開けるとすぐに螺旋階段があった。
「ジーコ、ここって何なんですか?」
「黙って付いて来い」
「?」
とにかく螺旋階段をゆっくりと降りて行くジーコの背中を追った。
最後の数段にさしかかった時、突然に沸き上がる絶叫?いや何か呻きにも似た歓声?
「何だ?」

次の瞬間彼はそこで目の当たりにしたあまりにも衝撃的な光景に圧倒されてしまったと言う。
身体に障害を持つ多くの人々が、まさに自分達のすぐ目の前に奇跡的に姿を現したあのスーパースター・ジーコに対し自由にならない身体を精一杯よじらせ、目に涙を溜めながら手をのばし、その感動を必死に言葉にしようと身体の底から声を絞り出している。
そんな彼等の手を握り、抱きしめるジーコ。
今までに味わったことのない感動と驚きに包まれたレオは頬を涙で濡らしながら思ったと言う。
「たった一人の人間の存在が、これ程までに他の人々の魂を揺さぶる事が出来るんだ!自分も将来必ずこうなりたい」

少年レオナルドのこの崇高な神秘体験は、今でも鮮明に彼の記憶に残っているという。

2007年11月 4日 (日)

マラドーナに右足を練習しろ?

アントラーズ時代、トニーニョ・セレーゾ監督とこんなやり取りがあった。
練習中、監督が「利き足だけじゃダメだ。不得手な方も練習しろ!」と繰り返すので、つい

「マラドーナにも同じ事言います?」

と要らぬ事を言ってしまった。
監督は俺の顔をじーっと睨みつけた。気まずい空気。
すると以外にも

「いや、あいつには言う必要はない」

と真顔で言われた。こっちは単なる皮肉混じりのジョークのつもりだったのに・・。

「実はなっ、イタリア時代に対戦した時、俺がボランチであいつをコーナーに追い込んだんだ。センタリングのコースも確実に消したし、もうバックパスしかオプションがないはずだった。しかも奴は仕方なしに左から右足アウトにボールを持ち替えてキープした。

“完璧だ”と思ったよ。

さらに左を切りながら厳しく寄せて後ろに返させようとした瞬間・・・」

そこまで言うといきなり俺の目の前であの蜘蛛みたいな長い手足をハンドボールのキーパーみたいに凄い勢いでバタバタさせながら至近距離まで近付いて来て
「なっ、何ですのぉ〜」実際どんなに厳しい寄せだったかを必要以上にアピールし来た。

「その瞬間、奴の左足が軸足の後ろに移動したのが見えた。ラボーナだとすぐわかったよ。しかしあの位置からのラボーナならボールの勢いはたかが知れてるし、距離も大して出ないだろぉ、普通。だけどな次の瞬間、目を疑ったよ。
まるでインステップで蹴ったようなスピードでボールが俺の脇腹の真横を通過したんだ。振り返って中を見たらライナーのボールが生き物のように飛んでったのが印象的だった。ハッキリ言ってまいったよ。
“怪物だ、コイツは!”こんな奴に両足使えなんて言う必要ないだろう。
まぁ右足も相当上手いらしいがな・・・」

マラドーナの様に究極まで利き足を磨き込めたら、片足だけでも両足を使える並の選手の3、4人分以上の効果をチームにもたらすと南米人は考える。
セレーゾ監督、ディテールまで有難うございました。

2007年11月 3日 (土)

上手い奴に預けろ!

今回は超ショートで失礼します。

ブラジルの子供達のストリート・サッカーの一コマ。

どうひいき目に見てもヘタな子が全くパスがもらえなくてブチ切れて
「何でオレに出さないんだよ!」
「じゃぁ、もっと上手くなれよ!」

これってブラジルの常識です。

2007年11月 2日 (金)

パススピード

5、6年前に(今でも?)さかんに業界(?)内で話題になっていたパス・スピードに関してのエピソード。
ジーコも当時はまだアントラーズの時代。
確かあの頃はゼ・マリオ監督だったと思うがある日、選手からジーコに「日本は世界の強豪国と比べてパス・スピードが遅いといわれてますが?」
問いに対しジーコは
「????パスは味方に出すのだからまず状況に応じて味方が受けやすいボールが一番。Jリーグでもよく見る光景だが短距離のパスをインサイドで確実に転がさずにアウトで出してみたり、無意味にボールを浮かしたり。それも敵がコースを消してるなら話しは別だが・・。サッカーは生ものだから同じ状況なんてありえない。だから試合中は選択の繰り返し。現役の頃は試合後、身体より脳が疲れたものだ」
たまたまその日の練習の中で中盤からトップにあてるクサビに関してのポイントをゼ・マリオ監督から指摘された。
「早いのを足元に入れるだけじゃ相手も守りやすいだろぅ!状況によってはゆるい球で味方を寄ってこさせたり(この一瞬のスピードの変化でマークを外しボール受けながらターン)工夫してみろ」
どうしても国民性か日本人てプレーをパターン化してあてはめがちですよね。
ブラジルは全て状況によって選手自身が選択していく。
この違いは検討に値するかも。

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